無茶苦茶でござりまするがな

怠惰なる日々、ふと思い付いた落書きメモ

ブルーハーツと甲本ヒロトの“天才性”について【神曲】

ブルーハーツ「♪1001のバイオリン」の描く世界


例えば『1001のバイオリン』この名曲きっと、誰もが聴いたことあるはずですよね。一時期(2010年あたりに)しつこい位CMで流れていました。

 

♪『ヒマラヤほどの消しゴムひとつ 楽しいことをたくさんしたい

ミサイルほどのペンを片手に おもしろい事をたくさんしたい』

 

「えっ? 知らない…?」それはいけません、いますぐ聴いて下さい!この歌詞は、何かの“アフォリズム※”なのだが、答えの提示はないですね。

何やら哲学的メッセージを含んでいる。それは…う~むゅ? 

 

♪『ゆりかごから墓場まで 馬鹿野郎がついて回る
1000のバイオリンが響く 道なき道をブッとばす』

  

(※作詞作曲は、マーシーこと真島昌利。ちなみに、あの深作欣二監督が「人生で最も好きな曲」と語った。葬儀には、自身が手掛けた映画の音楽に加え「1001のバイオリン」が流されたそうですよ)

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このCM、篤姫さんが無邪気にチャリで坂道を登りつつ、

音痴(わざと?パンク魂?)に唄っていますね。

そして、見事な“ぴょん吉胸”を、惜しげも無く

披露しているのも見所(コラコラ)のひとつ、萌✨kawaii

 

ん、それは、ともかく…。

 

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ヒマラヤ?エベレスト?どっち?

 

はい、では…『ヒマラヤ、ヒマラヤと、続けて1001回言ってみて!』

『ヒマラヤ、ヒマラヤ、ヒマラマ、ヒヤラヤ、ヒマヤナ✊ヒマラヤ、ヒヤラヤ、ヒラマツ、ヒラカタ、ヒマンジ…』

『じゃ、宮迫博之は?!』

『…ヒマアヤマリ?』

『謝罪会見だよ』

『そーか…笑』

 

それも、やだなぁ…。

 

さて「ヒマラヤサイズの消しゴム」なのである。

つーてことはね、それを使う本質は、もっとデカいサイズ(地球?世界?)のはず。

なのに「ミサイルサイズの鉛筆」なのだ。コレで世界を敵に回し、闘うと云うのだ。

 

○こちらがオリジンの『1000のバイオリン』The blue hearts

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このバランスの悪さは、いったいどうゆーこっちゃ??

例えば「♪ノミがリュック背負って、富士登山」の類なのか?!

授業中に半居眠りしている“厨二病者の描く夢”の描写なのか…。

 

いや、それも何だかなぁ。

 

そして甲本ヒロトが、こんな素敵なコト言いました。

『売れているものが 良いものなら…

世界一うまいラーメンは カップラーメン』By 甲本ヒロト

ねぇ…やっぱ、“The blue hearts”天才じゃろ?…🤣‪

 

○「THE BLUE HEARTS」日本のパンクバンド。1985年に結成、1980年代~1990年代にかけ活動1995年に解散する。「リンダリンダ」「TRAIN-TRAIN」など沢山の名曲を生み出し音楽界に大きな影響を与えたレジェンド✨グループである。

 

(1100文字)

心に刺さる名曲「人生の扉 竹内まりや」 英語歌詞訳にチャレンジしてみる【神曲】

竹内まりやは64歳、ユーミンは65歳、みゆきネーサンは、何と67歳!!ですよ。軽く還暦突破👏だ👏しかし皆さんそろって、やたらお若いねぇ~🎶

神曲「人生の扉 竹内まりや」をご紹介します

 

この曲『人生の扉』の魅力は、誰もが願う普遍性や心に刺さる歌詞「満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう」そして、気になる英語歌詞のパートに特長があります。ここで「人生賛歌」を謳っているのでしょうか。

気になります!

 

日本語歌詞との絡みを考えると、こんな感じなのかな?

 

この歌の設定の季節は春ですね。

その舞台は、「花見の席」かな?

沢山の仲間に囲まれ愉しいひとときを過ごしている。

そして、過去の想い出話が始まった。

「二十歳の頃は…三十になったら…四十だとほら…といった想い出が続き、それじゃ五十になったらどうなるの…?」と、誰かがいった。

 

youtu.be

 

<人生の扉 竹内まりや> 英語歌詞パート

 

I say fun to be Twenty
You say it's great to be Thirty
And they say it's lovely to be Forty
Be feel it's nice to be Fifty

 

私は言うの「二十歳はよろこび」
あなたは「三十歳がすばらしいさ」
みんなは言う「四十歳こそ素敵よね」
だけど「五十歳になるのも、いいよねぇ」

 

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I say it's fine to be sixty
You say it's alright to be Seventy
And they say still good to be eighty
But I'll maybe live over Ninety

 

私は言うの「六十歳も、いいかも」
あなたは「七十歳だって、悪くはないさ」
そしてみんなは「八十歳だって、まだ大丈夫!」
でも…私は、九十歳超えて生きられたらと願うのよ

 

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I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living

 

私は言うの「老いは、悲しいこと」
あなたは「老いていくのはつらいな」
そしてみんなは「人生は無意味なの」と
でも、私は信じる。人生って、すばらしいわ
そう、私は信じる。人生って、すばらしいのよ

 

今週のお題 「好きな歌を語ろう」

(1000文字)

明智惟任光秀が本能寺で織田信長を倒した。ホントの狙いは何だったのか?【居酒屋で麒麟がくる 参】

光秀の「天下盗り構想」はわずか十三日で、呆気なく破綻した。

居酒屋で麒麟ラガービールがくる。そんな時に「サラッと語れたらいい感じ✨」なるカモ~歴史ネタを書いてみました。今回はこのヒト↓↓↓

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明智惟任光秀
<明智ミッツー しょの零 有能>

比叡山焼き討ちの最大功労者(真面目に坊主と女を撫斬りしました!)である明智光秀に、大津坂本の領地が与えられ、湖畔に優雅な水城「坂本城」を築きました。

さらに比叡山への登口に「西教寺」を置く。これは「戦死者供養」が表向きの理由。叡山と、さらに向こう側を“スルドク監視”する役目を、光秀が担っていたと思われます。

そしてここ西教寺に、「光秀一族の供養塔や墓」があります。来年「麒麟大河ドラマ」が始まると“ウンカ”がワッと湧くので、訪問するならお早めに。

 

<明智ミッツー しょの壱 疑惑>

宣教師ルイス・フロイスの『日本史』に、本能寺の変について記述あり「ある者はこれは信長の密命によりて、その親類たる“三河の君主家康を暗殺するため”ではないかと、疑義した」というくだりがある。

これはどうやら「家康も相当ヤバかった💧」みたいなのです。六月二日本能寺の変後、堺から京に向かっていた家康は、自国領へと“一目散に遁走”しました、それこそ必死のパッチで。それで、この家康さん饗応役だったのが、我らがミッツーくんだった。

コレね、な~んか怪しいよね…といった、家康黒幕説あり。

 

<明智ミッツー しょの弍 発句>

天正十年五月二十八日は「愛宕山連歌会」が開かれた日。この「愛宕百韻」での連歌は、うたのほとんどが暗号文のような“隠喩の連続”なのです。もうコレ「謎」過ぎる!

まずは明智光秀が、発句「ときは今 あめが下知る 五月哉」と詠みました。裏解釈しますと…「とき」は「土岐氏、光秀の出自」、「あめ」が「天、天皇」、「下知る」は「下命」と。流れを“意訳”すると「土岐氏(光秀)に天皇が、御下命された五月」となり、ミッツーを唆した黒幕は「ときの朝廷なのか…?!」といった、朝廷黒幕説もあり。

 

<明智ミッツー しょの参 出陣>

亀山城に集結した明智勢に対し、森蘭丸から使いあり「信長が明智軍の陣容・軍装を検分したい」それで急遽光秀は、京へ向かったという。

武将や雑兵達は“信長討伐”という本当の目的を最後まで知らされておらず、光秀軍は信長が宿泊していた京都の本能寺を、訳も分からず包囲急襲した。

光秀軍一万三千に対し、信長側は近習百人足らず。信長はしばし奮戦したが、やがて寺に火を放ち自害。そして“信長の死体”は、何故かいまもって発見されてはいない。

供養墓は沢山あるのにね…。

 

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明智惟任光秀/十兵衛/日向守

生年不詳、岐阜明智城で生まれたらしい。青年時代まで何をしていたのか“謎”である。後、将軍義昭に仕え、織田信長との橋渡し役を勤める。信長の正室である“帰蝶とイトコだった”と云う。天正七年、丹波攻めにて包囲を続けていた八上城を落とす。続けて黒井城も落とし丹波一国を平定。すぐ細川藤孝と協力し丹後も平定する。信長は感状を出し褒め称え「丹波での光秀の働きは、天下の面目を施した」と信長は光秀を絶賛した。天正八年には三十四万石を領す。天正十年“徳川家康の饗応役”であった光秀は、任務を解かれ羽柴秀吉の毛利攻めの与力を命じられる。その途上の何処かで光秀が、重臣達に信長討伐の決意を告げた。そして本能寺。秀吉との山崎の合戦に敗れ逃走途中、小栗栖で歿する。天正十年、五十六才にて没。

 

○お勧め本/『ここまでわかった! 明智光秀の謎 』

歴史読本は、歴史人物の解析には定評がある。秀吉が書かせたという「惟任退治記」の現代文訳が巻末についていてなかなか興味深い。

何かと謎の多い明智光秀さん。憶測や状況だけでなく、人物分析したいヒトには最適ですね。

ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

ここまでわかった! 明智光秀の謎 (新人物文庫)

 

(1600文字)

ありがとうございます「盲亀浮木」の例え話【言の葉語源】

盲亀浮木(もうきふぼく)の例え話とは

ある時、「釈迦牟尼世尊」が「やすし」に仰いました。

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お釈迦様はみてるよ

釈迦「まずは、果てしなくひろがる大海原を思い浮かべるがよい。

そして、その底深くに目の見えいない一匹の盲亀がいる。

その亀は百年に一度だけ、海面に顔を出すのだよ」

 

やすし「んなアホなカメおるワケないでぇ~!」

 

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かめへん、かめへん

 

釈迦「一方、海面には一本の丸木棒が浮いている。

その流木の真ん中に拳くらいの大きさの穴が空いている。

波のまにまに、風のまにまに、波間をただよい続けているのだよ」

 

やすし「 ボートにぶつかるやないかソレ、かなんな、しかし!」

 

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たのむでぇ木ィ坊、かなんなぁ

 

釈迦「やすしよ、ある時、この眼の見えない亀が浮かび上がった。

そのとき浮木の穴に、ひょいと頭を入れることがあるだろうか?」

 

やすし「あったら“もう寄附ボク”やんかいさ」オチがいまいち…

 

この説話での「有り難い出来事」は「そうあること自体がとても難しい」出来事を云います。転じて「有り難い→ありがたう」となり「ありがとう」となりました。

これが「ありがとうございます」の語源なのです。 

 

(500文字)

 
 

戦国武将人気ナンバーワン!しかし織田信長の誤算は、いったいどの辺りから始まったのか?【居酒屋で麒麟がくる 弍】

人気先行にて毀誉褒貶を繰り返す人物評、織田信長とは?

居酒屋で麒麟ラガービールがくる。そんな時に「サラッと語れたらいい感じ✨」なるカモ~歴史ネタを書いてみました。今回はこのヒト↓↓↓

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織田三郎信長
<織田ノブッチョ しょの1 天下布武>

織田信長は、天正九年八月十三日のこと「信長自ら出陣し東西の軍勢がぶつかって合戦を遂げ、西国勢をことごとく討ち果たし日本全国余すところなく、信長の支配下に置く決意である!」と天下布武の意中を明かにする。

近代日本の扉を開ける「聖域なき構造改革!」コレを全面的に打ち出したのもこの頃。日の本すべて“信長の支配下に置く所存”「天朝様とて容赦しま宣言!」をしました。

 

<織田ノブッチョ しょの2 隠居宣言>

天正十年三月十一日。織田信長は、武田勝頼親子を天目山にて自害させた。高遠城を攻略した織田信忠に、褒美と共に「天下支配の権も譲る」と代替り宣言した。ででん!

はい、武家あるある「代替りには、お家騒動が必ず付き物!」このことは、トリガーとして充分な出来事でした。しかし、この時には、その悪い例⇒「武田滅亡」を見届けた筈なのにね、やっぱノブッチョ慢心したのかしら?

 

<織田ノブッチョ しょの3 本能寺 H>

六月朔(ついたち)の夜である。空に月はなく、漆黒の帷が本能寺をおし包んでいた。昼間より京の貴族や商人を集め催した「本能寺茶会」は満足な結果に終った。そしてひとが引け、静まった本能寺の片隅にて「本因坊 算砂と鹿塩利賢」が囲碁対局していた。

しばらくすると「盤上に縁起悪い三劫」ができ“三劫無勝負”となる。一方その頃「本能寺での馬揃」のため、夜を徹して京の本能寺へと粛々と進む軍団があった、その総勢は一万と三千。時は、天正十年六月二日未明のことでござったぁ! パパンパン!

 

<織田ノブッチョ しょの4 打開策無>

織田信長は、寝起き襲れ激おこプンプン!「こは謀反か、如何なる者の企てぞっ」森蘭丸に尋ねて、物見に行かせた「桔梗紋、明智が者と見え申し候 」と答え、信長は「で、あるか。是非に及ばず!」と言い放った。

しばし防戦したが、完全包囲されたことを悟ると、あっさりと寺に火を放ち自害して果てたと云う… マジっすか?ノブッチョさん、余りにも諦めよすぎではないかな、これドヤねん。なにかがおかしいと想うが。

 

<織田ノブッチョ しょの5 誰得推理>

信長と信忠親子は、明智軍と戦ってはみたが多勢に無勢、ハナから負け決定。そして暫定天下人の光秀くん♪だったハズだが、怒濤の中国大返しで舞い戻った「羽柴山猿連合軍」に山崎辺りでボコられて敗走する。

本能寺の変から十三日後にミッツーくんも都合よく消され(暗殺?)、チャンピオン候補が一気に三人も地上から消えた。

果たして、この大量粛清で好都合だったの、ドコのどいつだ~い?

 

○織田三郎/信長/上総介/右府様/第六天魔王

信長は尾張勝幡城で生まれた。子供の頃から“破天荒な行動”が多く、傾奇者の服装でねり歩き、栗や柿・瓜などを食べ歩きしたと云う。なので“大うつけ”と呼ばれた。信長の性格は「極めて残虐で常人とは違う、異なる感性」を持っていた。敵対者、裏切り者に対してはことさらに残忍であったと言われ、浅井父子と朝倉義景の三人の髑髏を「はくだみ」とし“酒の肴”としたのは有名な逸話、どうも“サイコパスの傾向”があったらしい。しかしその一方で“世間の評判”を非常に気にし、家臣や領民の意見も採用する柔軟性もあった。信長は日頃から武芸の鍛錬に励み、趣味として相撲、鷹狩り、茶の湯囲碁などに自ら励んだ。特に“南蛮文化に強い興味”をいだいていたらしい。最期には本能寺の変にて、明智光秀により弑逆された。享年四十九歳。

 

○おすすめ本/司馬遼太郎作『国盗り物語

も~面白いんだからァ~♪斎藤道三織田信長明智光秀のそれぞれ個性がぶつかり合い、下剋上の世、戦国時代を照射します。信長が道三を手本とし、光秀は信長を反面教師としたことが判りますね。

国盗り物語 後編 織田信長

国盗り物語 後編 織田信長

 

 

(1700文字)